# posted on July 21, 2019
# revised on May 13, 2020
NIKON Z7, NIKKOR Z 50mm f/1.8 S
友人の結婚式にお呼ばれしたので、観光がてらたくさん写真を撮ってきました。
今回はそのときの写真です。
これはあくまで僕個人の感覚なのですが、“瞳 AF ” っていう単語にとても違和感があります。
だって、フォーカスを合わせているのは瞳ではなくて目の方じゃないですか。
実際、英語圏での機能名は “Eye AF” です。
…まあ、目 AF じゃダサいですけど。
おそらく日本人は暗黙的に “瞳 → 目” という変換が可能です。
それがなぜかは定かではありませんが、僕が思うに、日本では曲の歌詞などに “瞳を閉じる” というフレーズが頻繁に出てくるからではないでしょうか。
つまり、この比喩表現に日本人が慣れているため、意識せずとも瞳を目に変換して解釈ができるのではと個人的には考えています。
(ここで、瞳は目の比喩表現になっています。なぜなら、閉じているのは瞳ではなく目だからです。正確には換喩というのでしょうか)
さらに掘り下げていきますが…
“瞳 → 黒目の部分” と理解している人が大多数だと思うのですが、これも必ずしもそうではありません。
医学的には、瞳とは黒目の部分(虹彩)ではなく、その中央に開いている穴(瞳孔)のことを指します。
(どちらの解釈も国語辞典的には間違いではありません)
実はこのことは、カメラやレンズを趣味にしている人にとっては非常におもしろくて、
というのも、瞳=瞳孔というの考え方が、光学の世界でよくいう “瞳” の考え方とよく一致しているということになるからです。
光学の世界でいう瞳とは、光学系を覗き込んだときに見える、絞りなどの開口の虚像のことです。
実際、人間の瞳孔も真の大きさの穴が見えているわけではなくて、角膜という凸レンズによって少し拡大された穴の虚像を私たちは見ています。
そういう意味で、人間の瞳と光学系の瞳とは、まさにイコールの関係があると言えます。
脇道を攻めすぎて、とんでもなく話が脱線してしまいました。
でもまあ、これだけ長々としゃべってきましたが、瞳 → 目という解釈が浸透している現代では、瞳 AF といわれても皆さんにとってはほとんど問題にならないのでしょうね。
言葉というのは、どれだけ共通認識が得られているかが重要なはずですし。
…あ、瞳 AF は間違いだからやめろ、ということではありませんので、くれぐれも。
あくまで、ただの僕個人の感覚では、というお話です。
実は、「結婚式最強レンズは単焦点理論」という話も書いてみたかったのですが。
意外と瞳の話が長くなってしまったので、また別の機会にしたいと思います。
今回はこのへんで。
ではでは。
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