RICOH GR IIIx, NIKON Z 7, AF-S NIKKOR 58mm f/1.4G
光を撮っています。
ここにも光。
ここにも光。
ここにも。
ここにも。
写真を撮るということは、突き詰めていけば光を写し取るということです。
カメラ・オブスキュラの誕生から変わらない原理原則です。
太陽のない曇り空の日も雨も日も、月の出ていない夜だとしても、そこに何かが写るなら必ずそこに光がある。
世界は光に満ちている。
写真のいちばんオモシロイところは、光の解釈の仕方にあるのではと常々思っています。
写真というのは、いわば二次元平面に焼き付いた光の痕跡です。
そのプロセスのなかで必ず情報の劣化が起こります。
そしてそれと同時に何か解釈するための余白が生まれてくるのです。
たとえばレンズだってそうです。
そこにある光を復元しようと思っても、そのすべてを取り込むことができない以上必ず情報は劣化します。
まして球面のガラス玉で光を集めている以上、収差や減衰の影響も避けられません。
そう考えてみると、レンズ設計というのは光の解釈の方法をデザインしてると言えるのかもしれません。
だからこそ、そこに思想やロマンが存在するのでしょう。
たぶんカメラも同じです。
実際にその光景に立ち会っている自分と比べれてみれば、写真の中から得られる情報は極めて限定的です。
どこにピントを合わせるのか(合わせないのか)。
フレームのなかに何をどう収めるのか(収めないのか)。
そして限定できるからこそ、僕たちは光の写し取り方を通じて表現することができます。
それは真実とは程遠いものであっても構わないのです。
解釈というのはおそらく撮る人によっても、機材によっても、見る人によっても変わります。
もちろんより多くの人が良いと感じる表現の仕方というのはあるのだと思います。
でも趣味の範囲で言えば、必ずしもそれを突き詰めていく必要はないでしょう。
好きなことというのは、結果より手段を目的化できた人の勝ちです。
存分に自分が好きだと思える光の解釈の仕方を追及すればいいのです。
今日はお家にサンタさん(自腹)も来たことですし、これからますます解釈していこうと思います。
メリークリスマス!
ではまた次の記事で。