LEICA M10, SUMMILUX-M f1.4/50mm ASPH.
また子どもが熱を出した。どうやら今回のやつは随分たちが悪いらしい。体温は何度か 40 ℃ 近くまで上がっていて、そのたびに "熱性けいれん" とか "脱水症" とかになりやしないかと僕はひやひやする。それでなくても子どもが高熱にうなされる姿を見ているだけで、すでに泣いてしまいそうになっているというのに。
これでも子どもが高熱を出すことに関していえば、同世代のパパママに比べれば場慣れしている方だと思う。うちの子はどうやら風邪にかかりやすい性質らしく、2か月に1回、悪い時には2週に1回くらいのペースで熱を出す。(こうなるとパパママの有休なんてあってないようなものだ。)だから子どもが熱で苦しそうにしている姿は既に数えきれないほど見てきているわけなのだけど、それでもいまだに涙があふれてしまうことがある。
こういう時によく思い出す光景がある。たぶんあれは僕が小学生くらいの時だったと思う。僕が高熱を出してとにかく眠ることすらつらいような状態だった時に、母が大粒の涙を流して「お母さんまで悲しくなってきちゃうよ。変わってあげられるなら変わってあげたい」と言って泣いていたことだ。もちろん僕も相当には苦しかったけれど、とはいえ命にかかわるような病気ではないことは子どもながらに理解していたから、ボロボロと涙をこぼしている母の顔を見た時にはぎょっとした。(なんでそっちがそこまで泣くんだよ。ドラマかよ)って。
でも今ならその時の母の感情が手に取るようにわかってしまう。そっくりそのまま同じ台詞が言えてしまう。そもそも時折思い出すという類の記憶ではなかったはずのその光景を思い出したのも、子どもができてからだと思う。本当に不思議だ。
よく "女性は子どもができると母モードにスイッチが切り替わる" みたいな話を聞くことがあるけど、あれは男性でもそうだと思う。実際、僕は自分のなかでバチンッとスイッチが入った瞬間を今でもはっきりと憶えている。はじめてわが子を抱いた時だ。
ヒトに限らずおおよその生き物には意思がある。だけど生まれたばかりの赤子には一切の意思など存在していなくて、本当に純粋にただ僕の腕のなかで生きているだけだった。 "無垢" という言葉の意味を体験によって知るというか、とにかく衝撃的な経験だった。その何日か後に乗った帰りの特急列車(里帰り出産だった)のなかでも、ふわふわとした気持ちで窓枠から外を眺めていたことを今でも憶えている。
あれは妊娠して出産するまでの苦痛を知ることのできない僕たちにとっては、せめてやっておくべき必要なプロセスだったのかもしれないと今になっては思う。あれを経験したことで、今の僕の状態ができあがっている。本当に不思議なことだ。
これからもまた同じようなことを思い出したり、知ったりしていくのだと思う。子育てって良いことばかりじゃもちろんないけれど、自分や親のことを知ることができるという意味でも、かけがえのないものだとあらためて感じている。