11 月末頃のこと。
色々と事情があって、急にぽっかりとひとりの時間ができた。
その日は(前日に終電近くまで働いたけど)頑張って早起きをして妻と子どもを空港まで送りに行った。
ハイパー朝よわ人間の僕にしては大変えらいと思う。
空港で腹ごしらえだけして、その足で新橋に向かった。
急にひとりぼっちになると寂しさに耐えられない体になっているので、この日は予め友人を誘って麻雀の日にしていた。
彼女(妻)に出会うまで、誰かと一緒に暮らすなんてムリムリと思っていたけど、わからないものだ。
モノレールの車窓から外の景色を眺めつつ、そんなことを思った。
待ち合わせまではまだ時間が相当あったし、せっかくなので浜松町から新橋まで散歩することにした。
ちなみに麻雀はめちゃくちゃ勝った。もうめちゃくちゃ勝った。
きっと空港で食べた辛つけ蕎麦が良かったに違いない。
結局その後も友人と夕飯を一緒に食べに行って、ついでにカラオケにも行って、へとへとになって終電でようやく家に帰った。
おかげで寂しさを感じる間もなく意識を失うように眠りにつくことができた。
とはいえ、翌日目を覚ませば結局ひとりぼっちだった。
昨日の疲れもあって家でだらだらと時間を過ごしていたけれど、夜が近づくにつれてだんだん寂しさの気配が濃くなっていった。
結局はそれに耐えかねて、もう陽が落ちるという時間から出かけることにした。
とくに行くあてはなかった。
でも逆に今晩は家に居なくていいわけだから、普段あまりできないイブニング・スナップでもしに行こう。
考えを切りかえて、日本大通に向かった。
でも、やっぱり僕は夜の写真が苦手だった。
早々にギブアップして、結局は家の近くのコメダで夕食も兼ねつつ時間を潰すことにした。
無音の家で過ごすよりは、多少煩くても誰か人のいる場所に留まっていたかった。
よく、音楽や本はそれを聴いていた/読んでいた時の記憶と結びついていると言う。
案外、写真もそうなんじゃなかろうか。
今日並べた写真を見ていると、なんだかザワザワして不安な気持ちになってくる。
そういう何かが写っているのではなくて、多分僕の気持ちが撮っていた時の記憶にアンカリングされているのだと思う。
ヒトリノヨルはもう当分ご遠慮したい。
何度もこんなことしてたら疲れちゃうし。