能登半島地震から1ヶ月半が経つ。近頃は地震にまつわる話題もニュースのヘッドラインからすこしずつ遠ざかってきた。今日も変わらぬ日常を生きる人びとにとって、それは次第にどこか遠い場所の出来事になっていく。誤解を恐れずに言えば、そのことに実はほっとしている自分がいる。
能登は僕の家族にとって所縁のある土地だ。どうして今年に限ってそこに居合わせなかったのか、自分たちでも不思議なくらいだ。妻も子も生まれは能登だ。今もじぃじとばぁばは奥能登で暮らしている(正確には、暮らしていた)。そこには僕たちが泊まりに行くときまって使う "離れ" があって、それが地震の瞬間ぺしゃんこになったという話を後から聞かされた時は、背筋に冷たいものが走った。それでも近しい人たちに限っていえばみんな無事だったのは、不幸の只中ではあるけれど幸運と言っていいのだろう。
そういうわけで、元旦から心穏やかではいられなかったし、だけど妻の心情を思うと自分はしっかりしなくちゃいけないとも思った。そんなときに SNS から流れ出てくるものはサイテーでサイアクだった。大勢の人がひたすらに災害でしかないものを、自分勝手に悲劇に変換して利用しているように思えた。だからそういう人たちが旬を過ぎた出来事にすっかり興味を失ってまた次の場所へとぞろぞろ移動してくれていることに、いま僕は心の底からほっとしているのだ。
とはいえ、今もこれからも支援を必要とする大勢の被災者の人たちにとって、それは喜ばしいことではないかもしれない。だからこういうことを言うのはこれきりにしたいと思う。
そんなわけで、先日ようやく金沢まで出て来ることができたじぃじとばぁばの顔を見るため、家族3人で金沢に行ってきた。子どもは普段あまり使わない北陸新幹線に乗ることができて大はしゃぎだった。そういう僕もまとまった時間があったので、金沢の街をカメラ片手にブラブラと歩くことができて良いリフレッシュになった。ただ比較的被害が少なかったとはいえ、行く先々の施設が閉鎖や休館になっているところも結構あったりしてそれはすこし残念だった。(今はもう復旧しているところがほとんどらしいので、皆さまぜひ支援も兼ねて石川観光などいかがでしょう。)
ということで、今日はその時の写真たちでした。観光地まで行って撮る写真か?というのは自分でも思うところだけど、でもそれが僕なので。