立体感について考える

レンズの筆遣いを形容する言葉に "立体感" というのがある。レビューサイトでたびたび使いまわされて手垢だらけの言葉だ。ほとんどの場合、肯定的な文脈で使われる。もちろん立体感だけがレンズの描写に求められるすべてじゃないけれど、よい描写とされるものの代名詞みたいなイメージがあると思う。

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でもたしかにな、とも思う。おもしろいことにこの立体感というやつは、"最新型で高価なレンズほどもちあわせている性質" というわけでもないらしい。どれだけピント面がシャープでも、写真全体で見たら前後関係が希薄でごちゃごちゃした写りのレンズはたくさんある。

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目の前に存在するかのような強烈な立体感

経験的にはレンズの画角や被写界深度、撮っている被写体、写真の大きさと鑑賞距離にも関係がある。たぶん立体感というのは、僕たちが成長とともに学習して身につけてきたものだから、経験したことのない絵から立体感を得るのはむずかしいのだと思う。

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立体視というと、3D 映画みたいな右目と左目の視差(両眼視差と輻輳角)をイメージする人も多いかもしれない。でも実際にはそれ以外の様々なところから僕たちは立体の情報を得ている。たとえば後ろにあるものは前にあるものに遮られて見えなくなるし、遠くにあるものほど小さく見える(パースペクティブ)。近くのものほどすこしの動きが大きく見えるし、近くにあるものほど水晶体でピント調節する必要がある。僕たちは実にさまざまな情報を頭のなかで瞬時に処理することで立体感を得ているのだ。(片目でも十分に立体を知覚できるということでもある。)

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だから、これは僕なりの解釈だけど、静止した写真から立体感が得られるという現象は、前後の遮蔽関係やパースペクティブ、そして情報密度の分布が自分の経験則にマッチした時に限って起こるはずのものだ。僕の場合、中望遠より狭い画角でなかなか立体感を感じることが少ない。それは、望遠レンズで撮れる写真が、僕のなかの経験にほとんど存在しないパースや被写界深度で構成される絵づくりになっているからだろう。

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最後にすこしだけ毒を吐いてみるけど、"ピント面が浮き上がって見える" というのは、立体感としてはもっとも情報量のレベルが低い状態だと僕は思う。単純に面が浮かび上がっているだけなら、赤・青のフィルムがついたメガネで見る飛び出す絵本とそんなに違いはないから。強烈な立体感には、脳がバグったような感覚がともなう。おそらく「間近に見ている写真でどうしてこんなに空間が広がっているように見えるんだ」という違和感から沸きあがる感覚なのだと思う。ピント面が浮き上がって見える、とはそこが決定的に違う。

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NOKTON 40mm F1.2 Aspherical で撮った写真は、そういう感覚を目から脳に叩き込んでくれる。心の底からオススメのレンズだ。

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NIKON Z 8
VOIGTLANDER NOKTON 40mm F1.2 Aspherical (Z-mount)