「あれ?でもこれってコンプラ的にどうなんだろう」みたいに心に引っ掛かることって、自分の頭のなかで理詰めしていくと大抵アウトになる。ほとんどは自分の感覚とは真逆の結論として。でもそれでいい。感情に合わせて理屈をこねるなんて僕が一番きらいな有り方だから。コンプラの部分は差別とかそういう言葉に置き換えてもいい。
でもそれに縛られすぎて全体として損をしているんじゃないかみたいな部分は間違いなくある。(だからと言って一部を切り捨てていいと言ってるわけじゃない。)たとえばテレビなんかはつまらなくなったとたしかに僕も感じるけれど、一方で僕が物心ついたかどうかくらいの時代のテレビ番組を見ると、うわ、と思うシーンはたくさん出てくる。僕たちの価値観というのは時代とともに確実にアップデートされている。大事なのは、いかにアップデートを阻害するかではなくて、自分自身含めいかにそれに対応していくかだと思う。今はその変化のスピードが速くなりすぎて、僕たちの感覚とか社会の仕組みとかの対応がついていけてないのだと思う。
たとえばこういうチャンネル(番組)なので、見たい人だけ見てね、嫌な人は見ないでね、みたいなやり方が仕組みとして成り立てばもう少し柔軟な対応ができるのかもしれない。市場経済のなかでうまくいくかどうかはともかく、あくまで一例として。まあでも実際 YouTube やその他動画配信サービスが覇権を握るようになってきてるわけだし、これからどんどんそうなっていくのかもしれない。そういう意味では、"みんな" をターゲットにしているテレビという形態自体が時代に合わなくなってきているとも言えてしまうが。
若い世代がおかしいと言ってくることって、大抵正しい。もちろんちゃんと理屈が通ったうえでの話だけど。たとえば始業までに会社の制服に着替えないといけないのはおかしいとか、忘年会に参加しなきゃいけないのも出し物をしなきゃいけないのも意味がわからないとか、10分単位でしか勤務時間が計算されないのはせこいしおかしいとか、休暇を取るのに理由を書かないといけないのはおかしいとか、そういう。上の世代の人にとってはえっと感覚的には思うからもしれないけど、実際のところ筋は通っているし、最近では当たり前にそれに対応する会社も増えている。やっぱり感情から出発して考えちゃいけない。数十年も遡れば長時間労働も社員旅行も当たり前だった時代だ。アップデートした今の感覚から見ればやっぱりおかしいと思うもの。たぶんそのうち通勤時間なんて人それぞれなのに~とか、テレワークできるのに会社行く必要なんて~みたいな時代にきっとなる。なったとしても、そこで感覚ではなくて理屈で考えられる人でいたい。