妻は焼き魚を食べるのがとてもうまい。
まるで漫画みたいに頭と骨と尾ひれだけが最後に残る。魚のタイプごとに攻略法を熟知していて、どんな相手でもつねに危なげなくクリアしていく。彼女のチャームポイントのひとつだ(星の数ほどある)。なにせ僕は焼き魚を相手にするのが苦手だ。
まずもって僕は不器用だ。どちらも生まれは田舎のほうだけど、接する海が違ったから食卓に並ぶ魚にも違いはあったかもしれない。育った家の "当たり前" に関する違いかもしれない。曰く、とくに意識することなく成長とともに修得したらしい。羨ましい。
師事の甲斐あって僕も多少なり上達してきている今日この頃。考えてみれば、人前で焼き魚に箸をつける機会って実はこの歳になるともうあまりなくて。これはただの自己満足だ。でもせっかくだ。将来、子どもも含めて魚の骨をきれいに残す家族になることを目指すことにしようか。
それで言うと、大学時代にもご飯を食べるのが上手な友人に憧れていた。
みんなで学食に行くと、よくそれが話題になった。"茶碗に米粒を残さない" の一段階うえの "ご飯の痕跡を残さない" ができる。米粒って注意していても割れて茶碗にくっついてしまうものだ。それをそもそも割れないようこまめにご飯をまとめながら食べすすめる。たとえ割れてしまっても米粒を米粒で器用に回収してきれいに食べ終える。彼によればそういう仕組みらしい。
その応用編がカレーライスだ。カレーをすくった分だけライスをカレー側に寄せていき、最終的にはカレー側の端ですべて食べ終える。するとカレーの色すら残らないきれいな器ができあがる。何度見ても芸術的だった。こちらは何度か真似しようとしたけど全然うまくいかなかった。彼のチャームポイントのひとつだ(カメラの画素数くらいある)。
思えば昔から、いわゆる A 型タイプの几帳面な所作に惹かれることが多かった。整理整頓が苦手だからかもしれない。
高校時代、同じ苗字で同じ部活動(実質)だった友人宅の勉強机がものひとつなく片付いていたのに感銘を受け、家に帰ってすぐ真似してみたこともあった。(そしてすぐ挫折した。)誰の真似をして始めたか忘れてしまったけれど、B5 のルーズリーフを 2 つ折りにして 2 列に分け、びっちりと文字が書けるように使っていたこともあった。(厳密にはこれは今でもたまにやっている。)
ちなみにニュアンスがわかりやすいかと思って A 型タイプは几帳面みたいなことを今しがた言ったけど、実は僕はあまり血液型性格診断を信じていない。たしかに僕の血液型は O 型で大雑把で優柔不断だけど、妻も O 型だし、大学の友人も B 型だし、中学の友人は A 型だったけど、つまりそういうことなんだと思う。
写真も大雑把なものより "丁寧な写真" のほうが好きかもしれない。というか、そもそもいい写真っておよそ丁寧な写真のような気もする。丁寧というのはじっくり撮るという意味ではない。でもやっぱり写真は自由で自己満足なものでいいと思っていて、それもただの好き嫌いの話でしかないだろう。好きに撮ればいい。好きに自己満足するために、これからも丁寧に写真を撮ることにしよう。写真が楽しい季節だしね。