立体感について考える

 世のなかにはレンズ愛好家がたくさんいる。写真レンズの魅力に取り憑かれたちょっと変わった人たちだ。好みのレンズにめぐり逢った日には、その素晴らしさをどうにか言葉にして伝えたい。そうしているうちに、レンズの描写について形容するための言葉がいくつも生まれた。なかでも古今東西多くのレンズフリークスがこぞって使うキラーフレーズがある。「立体感」だ。雑誌やウェブサイトのレンズレビューを読んだことがある人なら必ずどこかで出会っているはずの単語だと思う。ニュアンスとしては、写真という平面物体から立体を感じさせるほどに良く写っている、という感じだろうか。良い描写の代名詞みたいなところがある。

 そんなあちこちで使いまわされてすでに手垢だらけの言葉ではあるのだけど、よくよく考えてみると立体感って具体的にどういう描写のことを言っているのかは正直はっきりしない。立体感と言われて、本当にみんな同じものを想像できているんだろうか。けっこう怪しいと思う。だからこそ便利に使えちゃうのかもしれないけどね。

 ということで、今日は写真の立体感についてあらためてちゃんと考えなおしてみたい。

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 立体感と聞いてまず思い浮かべるものって、多くの人にとってはやっぱり 3D 映画や VR なんじゃないかな。それに次いで絵画とかイラストとか写真とかになるのかなっていうのが僕の感覚。 3D 映画や VR の立体感というのはすこし特殊で、見ているものはあくまで平面の画像なんだけど、左目と右目で横ずれ量が違う画像を見ていることで、両眼視差から立体に見えている。一方で絵画や写真から得られる立体感というのは視差を利用しているわけではなくて、描かれたパースペクティブとか、光の反射の仕方とか、視差以外のさまざまな情報から立体感を感じている。つまり、僕たち人間が立体感を得るのに必要なのは視差だけじゃないよっていうこと。

 立体感を生み出す情報としては、たとえば、
  ・遮蔽:奥にあるものは手前のものに遮られて見えなくなる、
  ・パースペクティブ:奥にあるものほど小さく手前のものほど大きく見える、
  ・水晶体調節:近くにあるものほど水晶体でピント合わせする必要がある、
  ・運動視差:近くにあるものほど速く、遠くのものほど遅く動いて見える、
  ・陰影:影の付き方から表面形状を推察できる、
  ・知識:標準的な大きさがわかっていればどれくらい遠くにあるか推察できる、
なんかがあげられる。

 このように、僕たち人間は写真のなかに描かれたさまざまな情報から立体感を汲み取ることができる。そういう立体を知覚するセンサーを持っている。

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 写真から得られる立体感の正体というのは、写真の描写が僕たちの立体を知覚するセンサーに働きかけることによって生じる錯覚と考えればいい。だから、超広角で過度に誇張されたパースがある写真とか、超望遠で過度に奥行きを圧縮した写真とか、スマホ画面サイズの小さな写真とか、地下鉄の通路の巨大な広告写真から強烈な立体感は湧いてこない。生々しい立体感を感じる写真というのは、かならず自然なパースペクティブと自然なボケの連なりによって描かれている。自分の肉眼を通した見え方からかけ離れすぎている描写では、僕たちの立体を知覚するセンサーに働きかけることができない。

 立体感のある描写の鍵は、立体と錯覚してしまうほど絶妙なパースと描写のバランスにある。

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 立体感があるレンズの描写というのは、実は必ずしもピント面が鋭いわけではない。よく「ピント面が浮かび上がる」という表現を見聞きすることがあるけど、これは単にピント面とそれ以外を分離しているだけに過ぎなくて、真に迫るような立体感が得られる描写とはさらにそこからもう一歩進んで、奥行き方向へ情報量がなだらかにかつ緻密に落ちていくグラデーションが丁寧に描かれている。これが「ピント面が浮かび上がる」と「立体感」との決定的な違いだと思う。

 写真を見ているはずなのに、あたかもその場所に立って肉眼で景色を眺めているような錯覚を感じさせるような描写。世のなかにはピント面に情報を凝縮させたレンズというのは無数にあるけれど、この空間のグラデーションまで描き切ることができるレンズは実はそう多くはない。

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 今日の写真はどれも NOKTON 40mm f/1.2 Aspherical で撮った写真なのだけど、このレンズはまさにそういう描写が得られる数少ないレンズだと思う。写真を拡大して見てみれば決してシャープなレンズではないけれど、奥行き方向への描写のグラデーションが横分解能ではなく立体の分解能を高めることで、薄っぺらな紙やモニターの中に空間を再構築してくれる。MTF チャートには浮かび上がってこない特別な性能だ。

 写真をフレームではなく「空間」で切り取る楽しさ。これだから写真レンズはやめられない。

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NIKON Z 8
NIKON Z 7
NIKON Z 7II
NIKON Z f
VOIGTLANDER NOKTON 40mm F1.2 Aspherical (Z-mount)