写真における立体感とはなにか
レンズの描写について語るとき、決まって登場するのが「立体感」という言葉だ。あちこちでなかば良い描写の代名詞として使われ、もはや手垢だらけの言葉ではあるけれど、だからこそここで改めて問い直してみたい。
写真における立体感とは、いったい何なのだろうか。
視差だけじゃない、立体感をもたらす情報
立体と聞いて多くの人がまず思い浮かべるのは VR や 3D 映画だろう。このふたつはどちらも左目と右目の見え方の違い(両眼視差)を利用して立体感を生み出している。
だけど、実は両眼視差以外にも様々な情報を駆使することで僕たちは世界を立体と感じている。たとえば、
・遮蔽:奥にあるものは手前のものに遮られて見えなくなる、
・パースペクティブ:奥にあるものほど小さく手前のものほど大きく見える、
・水晶体調節:近くにあるものほど水晶体でピント合わせする必要がある、
・運動視差:近くにあるものほど速く、遠くのものほど遅く動いて見える、
・陰影:影の付き方から表面形状を推察できる、
などがあげられる。
これらに加え、ある物の代表的な大きさや形状を経験的に知っていれば、その情報との掛け合わせで空間を知覚する。僕たちは成長の過程でこうした膨大な視覚情報を脳で処理し、後天的に立体感というセンサーを習得してきた。
だから視差が存在しない平面の静止画から立体を感じ取れたとしても、それは決して不思議なことではない。
絶妙なパースと描写バランスが立体感を生み出す
「写真の描写がうまく僕たちの空間知覚センサーをアクティベートさせたときに生じる錯覚」――これが立体感の正体ではないだろうか。
実際、立体感を感じる写真というのは、自然なパースペクティブとボケの連なりで描かれていることが多い。超広角による誇張されたパースや、超望遠の書き割りのような圧縮効果から立体を感じることは少ないし、スマホサイズの小さな写真や、駅の巨大な広告写真からも、生々しい立体感というのは得られにくい。
それはおそらく、自分の肉眼を通した見え方からかけ離れすぎていて、脳が空間を構成するための手掛かりを見失ってしまうからだ。
僕たちの脳が、平面に配置された情報から「これは立体だ」と錯覚してしまうほどの絶妙なパースと描写のバランス。そこに立体感の鍵がある。
「ピント面が浮かび上がる」より先にある「空間のグラデーション」
よく似た表現に「ピント面が浮かび上がる」というものがある。これも立体感に関わる一つの性能ではあるけれど、それだけではまだ単なる表面的な分離に過ぎない。
本当の意味で立体感があるレンズというのは、必ずしもピント面が鋭いわけではない。そこから奥行き方向へ向かって、情報量がなだらかにかつ緻密に落ちていく「グラデーション」が丁寧に描かれているのだ。
写真を見ているはずなのに、あたかもその場所に立って肉眼で景色を眺めているような錯覚。ピント面だけに情報を凝縮させたレンズは数多くあるが、この「空間のグラデーション」を描き切れるレンズは実はそう多くはない。
NOKTON 40mm f/1.2 Aspherical という選択
VOIGTLANDER NOKTON 40mm f/1.2 Aspherical は、まさにその稀有な表現を叶えてくれるレンズだ。
拡大して見てみればすぐにわかるけど、決してシャープなレンズではない。それでも、描写のグラデーションが僕の脳のなかにある立体感を呼び覚まして、薄っぺらな紙やモニターの中に空間を再構築してくれる。MTF チャートには表れない特別な性能だ。
このレンズで撮るたびに、僕は「空間を切り取ること」の愉しさを再確認させられる。




