nuts2u

日々の出来事や撮り溜めた写真を気ままにポストしています。

立体感について考える

レンズの筆遣いを形容する言葉に "立体感" というのがある。レビューサイトでたびたび使いまわされて手垢だらけの言葉だ。ほとんどの場合、肯定的な文脈で使われる。もちろん立体感だけがレンズの描写に求められるすべてじゃないけれど、よい描写とされるものの代名詞みたいなイメージがあると思う。 でもたしかにな、とも思う。おもしろいことにこの立体感というやつは、"最新型で高価なレンズほどもちあわせている性質" というわけでもないらしい。どれだけピント面がシャープでも、写真全体で見たら前後関係が希薄でごちゃごちゃした写りのレンズはたくさんある。 目の前に存在するかのような強烈な立体感 経験的にはレンズの画角や ...

立つ鳥、跡を濁していく

妻を表すための妻以外の言葉がほしい。ここ数年うっすらと思い続けている。 "うちの奥さん" とか "うちの嫁さん" は、厳密には誤用らしい。詳しいことは詳しい人に放り投げることとして。社会や家や結婚のあり方が変わって、言葉の意味も移り変わってきたのだろう。近いうち辞書に書き足されて誤用でなくなるかもしれない。逆にジェンダーニュートラルかなにかにつかまって消えてなくなってしまうかもしれない。明日はどうなるかわからない世の中だ。 僕は消去法ぎみに "妻" を使う。家内だと専業主婦みがあるし、女房やカミさんだとてやんでい感が醸されるし、パートナーだと長くて遠いし、ツレだと連れられているのは僕なので誤り ...

七転び八起き

7 拍子が好きだ。 まずひとくちに 7 拍子と言ってもいろいろある。同じ 7 でも 4 + 3 と 3 + 4 があって、僕は 4 + 3 が好き。 7/4 と 7/8 だと圧倒的に 7/8 が好きだし、 7/8 + 7/8 が好きであって 8/8 + 6/8 にはコレジャナイ感がつきまとう。どれも足し算なら同じはずなのに不思議だ。 奇数拍子の仲間に 5 拍子があるけど、こちらは感覚的にもっさりとしている(とくに 2 + 3 )。逆に 7 拍子には急かされるような前のめりな感じがある(とくに 4 + 3 )。おそらく 7 拍 → 1 拍で 表 → 表 になるところがその感覚の源泉で、そこが僕は ...

それで言うとさ、

妻は焼き魚を食べるのがとてもうまい。 まるで漫画みたいに頭と骨と尾ひれだけが最後に残る。魚のタイプごとに攻略法を熟知していて、どんな相手でもつねに危なげなくクリアしていく。彼女のチャームポイントのひとつだ(星の数ほどある)。なにせ僕は焼き魚を相手にするのが苦手だ。 まずもって僕は不器用だ。どちらも生まれは田舎のほうだけど、接する海が違ったから食卓に並ぶ魚にも違いはあったかもしれない。育った家の "当たり前" に関する違いかもしれない。曰く、とくに意識することなく成長とともに修得したらしい。羨ましい。 師事の甲斐あって僕も多少なり上達してきている今日この頃。考えてみれば、人前で焼き魚に箸をつける ...

よわよわな朝に秋がやってくる

わが子の小さな手のひらがぺちぺちと僕の頬を打つ。文字通りたたき起されているのだけど、うらはらに心地よい。いつも朝から元気印の彼は今日も僕より早起きだ。すこし前にまた歳の数が1つ大きくなって、最近ことあるごとに自分が何歳かをたずねてくる。いいことをして褒められればその数が増えたりするし、わるいことをして叱られれば数が減ったりする。でも次の日になればリセットだ。おおよそそんなレギュレーションで彼の年齢は運用されている。 対する僕はこれだけ歳を重ねても朝はよわよわだ。子どもに急かされながら、半ば這いずるような格好でリビングにたどり着く。部屋の明かりとテレビだけをなんとかつけて、すぐに糸が切れたように ...